キャリア自律
変化が激しい時代、または読めない時代でのキャリア自律を纏める。
振り返ってキャリアを切り開いてきたと思っている人は、以下の三つと相関関係がある。
1.主体的ジョブデザイン
ジョブクラフティングと言う人もいる。要は自分の考え・哲学・持論を持って、仕事にあたっているか。
2.ネットワーキング行動
自分がやりたい事を他人と共有して、世の中全体とGive and Takeが出来ているか。自分のネットワークでどんなニーズがあるか把握して、それに応えようとしているか。常に新しいネットワークを広げる努力をしているか。
3.スキル開発行動
今後、どのようなスキルが必要かを自分で考えて、自己投資をしている。
自己評価としては、1と3は良く出来てるが、2のネットワーキング行動が弱いと感じる。どうやってこれを強化するかは、この4か月の中で学んでいきたい。
何のために拘っているのかを考える
職人の拘りが強いモノづくりをあるテレビ番組で見た。素人にはぱっと見分からないようなものでも、職人が気に入らないと完了にせず、何度でもやり直すらしい。
外国人の目には「So Japanese」と映ったようで、とても印象的だった。良い意味でも悪い意味でもSo Japaneseなんだと思う。私にはちょっと悪い意味でもSo Japaneseが感じられた。
目的が見えないのである。何の為の拘り?殆ど職人の自己判断と自己満足の世界に見えた。その会社では、確かに凄い技術を保持していた。にもかかわらず、8年やっても「まだ、本当にその技術をつかんでいない」との事。職人任せの自己満足に会社の技術開発・定着・資産化を100%依存しているとするならば、当然の帰結だ。
戦後、しばらくは良いものを作る=売れるの図式が成り立った。それはしばらくして、行き詰った。家電メーカーや車メーカーは、改善と言う名の機能開発ばかりして、もはや利用者からすれば、90点を優に超えている製品に対して、93.47とか95.32のような機能開発を行った。そんな事をしている間にGAFAに代表されるプラットフォーマーにあっという間に基盤を握られた。彼らはNo1のプラットフォームになるべくそれに一点集中で臨んでいる。いつまでも戦後うまくいったやり方をぽけーっと続けている企業は、周回遅れではすまされない状況になった。
拘り自体は良い悪いの議論ではないが、最終的にそれは何の為にやっているのか、今の状況に合っているのか、他の人に地球に貢献するのか?を考えて、自分の拘りを判断したい。
OraclenのDatafile追加
alter tablespace USERS add datafile 'D:\xxxxxxxxx\USERS03.DBF'
size 128M autoextend on next 64M MAXSIZE 32767M;
OracleのProcess数、Session数、SGA、PGAの変更
ALTER SYSTEM SET PROCESSES = 450 SCOPE = SPFILE
ALTER SYSTEM SET SESSIONS = 500 SCOPE = SPFILE
ALTER SYSTEM SET SGA_MAX_SIZE = 5G SCOPE = SPFILE
ALTER SYSTEM SET SGA_TARGET = 5G SCOPE = SPFILE
ALTER SYSTEM SET PGA_AGGREGATE_TARGET = 5G SCOPE = BOTH
PGA以外は動的変更が出来ない。
Oracleの現在のセッション数とプロセス数を確認する
SELECT
*
FROM
V$RESOURCE_LIMIT
WHERE
RESOURCE_NAME = 'processes'
OR RESOURCE_NAME = 'sessions';
孫子の兵法
孫子の兵法を勉強中である。三つの事を思いました。
1.本質的な事を述べている
紀元前に書かれたものだが、本質的な事を述べていると思った。なぜか、考えてみた。春秋戦国時代の経験を元にかかれたものだからと思う。戦争は本当に生きるか死ぬかの問題だ。従って、死と常に隣り合わせで生きてきた人が纏めあげたものなので、その内容が本質的なものなのだろう。
2.愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ
日本の戦国大名や経営者の中でも孫子の兵法を大切にしている人が多い。武田信玄やヤマハの川上さんはその例だ。時代を超えて、参考にされているという事は、それだけ孫氏の兵法が本質的な内容を書いているという事の証左ではないか。幅広く世界の歴史を学ぶ意義と重要性を改めて理解した。
3.人間の性質は変わらない
ホモサピエンスとしての人間の性質はそれ程変わらないと思った。孫氏の兵法は人間の事を書いている。簡単に言えば、人間の生存競争の話だ。生物は食えなければ、生きていけない。自分の領地に食べ物がなければ、自分以外の領地にそれを求めるしかない。話し合いで食べ物が全ての生物に供給できなければ、争うしかない。これは紀元前の時代も今の変わっていない。直接に追求するものが、食べ物から貨幣に置き換わっただけで、本質的には変わっていない。なぜ孫氏の兵法が時代を超えて参考にされるのか。書いている対象たるホモサピエンスの性質は変わっていない、且つその分析や洞察が本質的だからだろう。ここでも賢者は歴史に生部ということわざも当然だと思った。今後、本や話を聞く時、その前提は何か、それの前提は変わらないのか、変わるならどういう時に変わるのか、そして、論じられている内容が本質的なものか。これらに照らし合わせて本を読んだり、人を話を聞くと、その内容をどう自分の中に位置づけて、どう活用するか、判断出来ると思った。